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ソーシャル電通人 #005(前篇)

ソーシャル電通人 #006 籠島康治 電通ソーシャル・デザイン・エンジン クリエーティブ・ディレクター コマーシャルで解決できない問題もソーシャルなら解決できるかもしれない

ソーシャル・プロジェクトにかかわって10年あまり、常にていねいに社会課題とコミュニケーションに向き合う籠島康治さんに、ソーシャルとの出会いや仕事に対するスタンスについて聞きました。

――大学時代から就職にいたるまで、どのような感じで過ごしていたのですか?

高校のときから数学が好きだったんですが、当時人気のあった物理、素粒子の研究をしてみたいと思って、そのための設備の整っていた筑波大学に入ったんです。でも、実験がぜんぜんおもしろくない(笑)。おもしろくないっていうか、興味が持てず、専攻は結局数学にしました。数学というのは、実験なしで頭のなかだけでできますから、それがいいな、と。自分の頭のなかでこねくり回して考えてるのが好きで、コピーライターになってからも、その感覚はあんまり変わっていません。頭のなかだったり、紙の上だったり、ちょこちょこと、積み木で遊んでいるような感覚です。

筑波の学園都市というちょっと隔離されたような環境(当時は、です!)にいて、数学、バンド活動とバイトに明け暮れていて、現実離れしてるというか、浮世離れしてるというか。学部と大学院の6年間、そのあいだは、バブルも含め世の中のことはまったくなにも知らなかったですね。

周りが就職活動を始めるようになって、僕も「なんか考えなきゃ」って(笑)。バンドの先輩ではアナウンサーになった人やレコード会社に就職した人などがいて、一方、数学専攻の学生の就職先はIT系のエンジニアやコンサルタント、高校の数学の先生が多かったですね。教職免許は取ったのですが、教育実習に行ってみて、「自分には無理かも」って早々にあきらめました(笑)。

ひとつ上の先輩が電通にいまして、OB訪問をして、たまたま試験に受かって、みたいな感じで、流されるまま(笑)。僕はいまにいたるまでそんな感じで、自分でも主体性がないって思います(笑)。

僕は特に広告に興味があったわけではなくて、おそろしく世間知らずだったので、社会のことを勉強したくて就職したみたいな感じだったんですよね。特定の業界のことだけじゃなくて、いろいろな業界を知ることができる会社がいいなと思って。

――電通に入ったときからクリエーティブ志向だったのですか?

新人研修ではいろんな部署について研修を受けるんですが、僕はクリエーティブが一番おもしろかったんで志望しました。クリエーティブというのは、大きく分けると「つくる」仕事ですよね。僕の場合「つくる」っていうとちょっと言い過ぎかなとも思うんですけど、とにかくそこがいいなと思いました。新しい表現を考えるとか、人の頭のなかに新しい経路をつくるようなところがおもしろいなと思いまして。

配属されて周りを見渡してみると、コピーライターにしろプランナーにしろADにしろ、みんな職人的なところがあって、そこもすごくおもしろくて、夢中になって修行していたような感じでした。僕が配属された部署には当時、杉山恒太郎さんや鎌田一郎さん、佐藤雅彦さんや白土謙二さん、佐々木宏さんや岡康道さん、石川英嗣さん・・・といった日本の広告業界のスターが揃っていました。雑誌を読めば、先輩たちがインタビューでかっこいいことをしゃべってたりする。いきなりそんなところにボンと入った僕は、オールスターゲームの隣でキャッチボール始めたみたいな(笑)。でも、表現っておもしろいんだなっていうことに目覚めて、夢中になって仕事や勉強に励んでいました。

――どのようなクライアントを担当していたのですか?

担当したクライアントは製薬会社さんや食品会社さん、自動車メーカーさんなどですが、なかでもソニーさんがメインクライアントでした。VAIOがローンチされたばかりで、テレビCMを何本もつくらせていただきました。ソニーの広告というのは非常に明快な「プロダクトヒーロー」ものでした。プロダクトをいかによく見せるかが大事で、よけいな表現はいらない。千本ノックじゃないですけど、いろいろ提案してもなかなか通らない。あれこれ考えるんですが、結局はヒーローである商品の魅力をいかに語るかということに収斂していく。すごく勉強になりました。

何年かやっているうちに、「コミュニケーションの最短距離ってこういうことなんだ」みたいに、自分なりになんとなくつかめたような気がしてきました。ひとことでいうのは難しいのですが、コミュニケーションを成立させる「へそ」みたいなのがある。商品にはいろいろな魅力があるけれども、世の中の人に何を伝えるのがいちばん「突いた」ことになるのか。そこを見つける作業は、ソニーさんのほうでも「ここだ」といってくれますし、僕のほうは、「そこよりこっちじゃないですか」っていうようなやり取りをしながら見つけていくんですが、そういう「へそ」を見つけて、そこをいかに強く突くかという練習をひたすら続けていた時期でした。

それがある程度できるようなったのが、自分一人でもちゃんとできそうだなっていう自信につながっていったような気がします。

そして2003年にTCC(東京コピーライターズクラブ)の新人賞をいただきました。コピーライターの修行を5年、CMプランナーの修行も5年、入社してちょうど10年経っていました。

コピーライターっていう仕事は、あんまり主体的過ぎないほうが向いてるのかなと思ってるんですよね。だれかのいいたいことをうまく伝わるように代弁するのが仕事なわけですから、自分があり過ぎると都合が悪いというか、自分が表現したいことっていうのとまたちょっと違うんですよね。

先輩のコピーライターからボディコピーについて教えていただいたことがあります。「水みたいなのがいちばんいいボディコピー。無色無臭で、気が付いたら飲んでいて、体のなかをすっと流れていく。そういうのがいいんだよ」と。それを聞いて、なるほどと(笑)。

商品によっても違うと思うのですが、とにかく興味を引くために、言葉は悪いですが、引っかけたり、キャッチしたりすることが必要な広告と、逆にそういうのは邪魔で、商品の良さをきちんと伝えるほうがいい広告がある。僕の場合はずっと後者の仕事が多かったので、「ボディコピー水論」がすごくしっくりきたし、自分の身の処し方もわりとそれに近くなってるような気がします。なるべく透明な感じで、「籠島は存在感ないねえ…」みたいな(笑)。

――ソーシャルとの出会い、きっかけを教えてください。

僕がソーシャルに関わらせてもらった最初の最初は、いま特命顧問の白土謙二さんの仕事でした。阪神大震災をきっかけに社内で防災に関する勉強会を立ち上げられていて、これにもまたまた先輩に誘われて(笑)、勉強会に参加したんです。そのときに、「こういうのって大事だな」「広告のこういう使い方っていいな」と思いました。仕事で担当する企業のためだけじゃなくて、社会のためにも自分のスキルをもっと使ってみたい。そこから、ソーシャル系の仕事を少しずつ入れていただくようになり、また、先輩の福井崇人さんと2025PROJECTというNPO活動をするようになりました。

ソーシャル系には表現の可能性がいっぱいあるように見えました。あんまりタブーがないっていうか、何かやれば新しいこととして評価される感じがあって、魅力的に映ったんですよね。特に2000年以降、日本経済の停滞の影響もあってか広告表現にも閉塞感があって、なにをやってもどこかで見た表現、どこかで聞いたコピーになってしまいがちというか、「新しさ」へのハードルがすごく高くなっていたりします。一方、NGOやNPOのメッセージはそれまであまり発せられていませんでしたから、そこに広告のスキルを持ち込んだらおもしろいことができるかもしれないというワクワク感があって、飛びついていった感じですね。

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