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ゲストインタビュー#007 (後篇)

ゲストインタビュー#007(前篇)渡辺大樹さん EKMATTRA(エクマットラ)顧問 ストリートチルドレンの衝撃、飛び込んだバングラデシュ。

貧しい人も、裕福な人も、みんなが共有できる「1本の線」があってもいいんじゃないか。――バングラデシュでストリートチルドレンの支援と社会問題の啓発を行う渡辺大樹 さんに、活動をはじめたきっかけとこれまでの苦労、そして将来の夢をうかがいました。

ストリートチルドレンの衝撃

私は大学時代にずっとヨットをやっていて、4年生のときにタイのプーケットで開催された国際ヨットレースに出場するチャンスをいただいたんです。5つ星のホテルに泊まり、超豪華なバスで移動するという毎日だったのですが、何日目かに信号でバスが停まり、パッと横を見たら、地平線までつづくかのようにずっとスラムが広がっていた。こんな劣悪な環境に人が住んでいるんだと、車窓から見た光景にびっくりしました。そのとき、スラムの入り口でこっちを見上げているみすぼらしいかっこうの男の子とパッと目があった。そのときにものすごい衝撃がありました。なぜそれほど衝撃を受けたのか、いまだにわからないのですが、経験したことのない衝撃が突き抜けて、「なんでオレはあの子を見下ろしていて、なんであの子は、みすぼらしいかっこうでこっちを見上げてんだろう?」って思ったんです。

もし私が努力してここにいるのだったら、そのことを自分でも誇れるかもしれない。そして、あの子が怠惰で、いろんなチャンスを無駄にしてあそこにいるのだったら、それはそれで彼の責任だろう。でも、そうじゃない。たまたま日本に生まれた私と、たまたまタイのスラムに生まれた彼とで、これだけ大きな差がついてしまうってことにすごい憤りと悔しさと無力感といろいろな感情が押し寄せてきて、なにもできずわなわなと震えてたんですよね。

日本に帰ってきてから、プーケットでの衝撃がどんどん大きくなって、いろいろ考えているうちにいてもたってもいられなくなってしまった。大学4年で、進路を本気で考える時期だったんですが、企業に就職するとか、自分でなにかをはじめるといったことが考えられなくなって、タイで見掛けたような子どもたちにかかわっていくことしか考えられなくなりました。何ができるかわからないけれども、自分がこれほど大きな衝撃を受けたことに人生を賭けても後悔しないんじゃないかって思って、バングラデシュに行くことにしたんです。

バングラデシュを選んだのは、小学校の社会の教科書に「洪水やサイクロンといった自然災害に立ち向かう最貧国」ということで取り上げられていたのが印象的だったから。当初は、青年海外協力隊員やJICAの職員、あるいはNGOの職員になることも考えたのですが、いろいろな方々の話を聞くなかで、現地にコミットして本気で取り組んでいる様子に感銘を受ける一方で、まだ出来上がっていない枠組みや視点から現地の情報を掘り起こしてみたい、自分にできることがあればやってみたいと思ったんですね。

テンションコントロールは居酒屋で学んだ

最初の一歩を踏み出すのはぜんぜん大変じゃありませんでした。「これだ!」って決めた後に迷うことはなかった。タイのヨットレースから帰ってきたとき、銀行に1,300円くらいしかなかったんです(笑)。そんなに強い人間じゃないですから、期限を決めないといろんな理由をつけて先延ばしにしてしまうと思って、「1年後に日本を出る」って決めた。卒業を延期しちゃったので、半年間授業料を払いつつ100万円貯めようと、卒論を書きながらむちゃくちゃ働きました。賄いでエネルギーを貯めて家でご飯を炊かないとか、移動は歩いたり走ったりとか、半年間1円も使いませんでした(笑)。

大学時代にヨットのほかにやっていたのが居酒屋のアルバイトでした。メンバーがみんなすごく熱い人たちで、「この店を絶対日本一にする」「今日、お客さん何人感動させて泣かそうか」って感じでやってました。

居酒屋からはたくさんのことを学びました。テンションのコントロールというか、「いかにテンションを上げるか」の方法とか。それは、エクマットラの青空教室にすごくつながりました。青空教室って毎回うまくいくわけじゃないし、「今日は来るのかな」「話を聞いてくれんのかな」って心が重くなるときがある。最初の頃は、はじめて5分もすると、「つまんないから兄ちゃん帰るわ」っていなくなっちゃうんです。それで、青空教室に向かうバスを降りるときに、「いち、にい、さん、よっしゃ!」って、すごいテンション上げるんです。テンション高いとやっぱりおもしろいから、子どもたちもついてきます。居酒屋で学んだことが非常に生きたんですよね(笑)。

ダッカ大学の仲間と共同で設立したエクマットラ

バングラデシュでは、外国人がひとりでフラフラしているといろんな人たちが声を掛けてくれる。怪しい人もいましたけど(笑)、バングラデシュの人びとはものすごく正義感が強く、おせっかいなほど面倒見がいい。日本をすごくリスペクトしていて、大の親日国なんです。

バングラデシュを語る上でベンガル語のことは絶対欠かせません。私が受け入れてもらえたのも、ベンガル語を本気で勉強して、ベンガル語で完全にコミュニケーションができるようになったことが大きかったと思います。見知らぬ企業で社長さんと話をしていると、最初は「何しにきたんだ?」って感じなんですけど、私がベンガル語で話しはじめると、「顔つきがちょっと違うけど、少数民族か?」と聞かれ、「日本人です」と答えると、「日本人がなんでそんなにしゃべれるんだ?」って身を乗り出してきてくれる。ベンガル語はすごく大きな武器になっています。

ダッカ大学には、飛び入りで入学しました。試験を受けたわけではなくて、口頭でベンガル語をしゃべったら、「しゃべれるんだったらいいよ」って(笑)。私が入学したのはダッカ大学現代語学研究所のベンガル語学科で、外国人にベンガル語を普及させることを目的としていたんです。もともと大学に入学するつもりはなかったのですが、現地でいろいろと話をしていくなかでビザとベンガル語が必要だということになって、その2つの問題を解決できるのはダッカ大学だろうと(笑)。幸運なことに、学生ビザをいただき、ベンガル語も学べたんですが、なにより大きかったのは、のちにエクマットラをいっしょに立ち上げることになる仲間たちと出会えたことです。

覚えたてのベンガル語をぶつぶつ呟きながら歩き回っている私はダッカ大学でも目立ったんですよね。おせっかいな人たちが寄ってきて、「こんなとこで何してんだ?」と聞かれ、「実はタイでこんなことがあって、子どもたちに向き合っていきたいんだ」みたいなことをいったら、仲間が集まってくれるようになった。私の意見に共感してくれたというより、彼ら自身がもともと社会的な問題に関心を持っていて活動をしていた人たちだったんです。

啓発のために、少数民族が変わっていく様子を捉えた映像をつくっていた仲間もいますし、子どもたちに勉強を教えている仲間もいた。エクマットラの仲間は、私以外は全員バングラデシュ人ですけど、学生ですから、いろんな問題に関心があって、社会の現状に対する憤りもけっこうあったんですね。そのひとつが、「外国からの援助によってこの国は止まっている」、「援助漬けになって自立心が失われ依存体質がつくられている」という批判でした。外国からの援助がないと進まない、人も活動しようとしない、という体質の問題だと思っていたんです。

どういうことかっていうと、バングラデシュは東京ほどではありませんが大都会で、大きなビルもたくさんあります。そういうビルのオーナーは日本のお金持ちよりずっとお金持ちなのですが、彼らがバングラデシュのために何かをしてるかっていうと、何もしていない。彼らのビルの裏にはスラムがありものすごい格差がある。そういう社会状況だから、外国からお金をもらって活動するのではなく、その人たちを巻き込んでいかないと根本的に変わらない。仲間たちも私も、そうした認識では一致していたのです。

私たちは、外国からお金をもらって活動したり、外国で考えられたプロジェクトを下請けするNGOになるのではなく、この国の文化や歴史、哲学に根づき、この国のためにやっていく。今後もしかすると、外国からのサポートを得るようなことがあるかもしれませんが、まずは外国からのサポートをあてにせず、自分たちで強い団体をつくっていこうということで、2004年に仲間たちとエクマットラを立ち上げました。

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